2026/6/15 20260510 homily

20260510 ヨハネ14:15-21

鶴山師

ゴールデンウィーク中のことなんですが、聖堂のドアのカギを開けに行こうと思ったら、普段、お見掛けしない方が聖堂の外にいました。その方にお話を伺うと、どうもお仕事の都合で京都と関東を行ったり来たりおられる方のようで、ドアが開いてなかったので、聖堂の外から聖体訪問をしておられたということでした。聖堂のドアをかけると、ひとしきり祈った後で帰られました。祈りの習慣がある方は、忙しいからこそ、聖堂に来て時間の許す限り聖体訪問、イエス様とともにいる時間を取りたいということだと思います。これが癒しの時間ということでしょう。

今日の福音、聖霊が私たちキリスト者のもとに来られるという事、聖霊を通してイエス様が私たちと共におられる、ということがテーマになっています。イエス様が共におられる、聖霊が共におられる。ごくごく自然に私たち、そう思っているわけですが、具体的にはどういう時に聖霊の到来、あるいはイエス様の現存を味わっているだろうかということを今回考えてみたいと思いました。秘跡、祈り、聖書や教会が大切にしている諸文書を読み味わう時に、共同体やキリスト者のうちに、ということが挙げられると思います。先ほど話ししたのは、秘跡や祈りのうちにイエス様の現存を感じているという視点から、でありました。 

そしてもう一つ、共同体やキリスト者のうちに、という視点からお話ししたいと思います。 この2か月くらい、使徒的勧告「私はあなたを愛している」を時間の合間合間に読んでいます。最近、この使徒的勧告の74項を読みました。紹介したいと思います。19世紀、よりよい生活条件を求めて何百万人ものヨーロッパ人が移住した時、二人の偉大な成人が移住者の司牧において際立ちました。聖ジョヴァンニ・バッティスタ・スカラブリーニと聖フランチェスカ・サヴェリオ・カブリーニです。ビアチェンツァの司教だったスカラブリーニは、移住者に目的地まで同伴して、彼らに霊的・法的・物資的支援を行うために、聖カルロ宣教会を設立しました。スカラブリーニは移住者を新しい福音宣教の対象と見なし、彼らを搾取と、異国の地で信仰を失う危険から守りました。…カブリーニは移住者を支援する使命を果たすために、何度も大西洋を渡りました。「彼女は優れた大胆さの武具を身に着けて、仕事を求めて新世界へと冒険の旅に出た多くの貧しい人々のために、何もないところから学校と病院と孤児院を創設しました。これらの人々は、原語の知識もなければ、アメリカ社会に品位をもって溶け込む手段もなく、しばしば悪辣(あくらつ)な人間の犠牲となりました。彼女の安らぐことのない母としての心は、スラム、刑務所、鉱山をはじめとした、あらゆるところにいる彼らに手を差し伸べました」。この勧告の文書を読みながら、こんなことを思いました。聖スカラブリーニと聖カブリーニについて、今回、私、この勧告を通して知ることができました。 もちろん彼らはアメリカに渡った移住者である同胞のために心を砕いて働いたわけですが、移住者のための司牧は、現代の日本の教会において多くの司牧者が心掛けている事でいることですし、また同胞の司牧のために様々なところを訪問するシスター方の姿を京都教区内においてもよく知っています。つまり普段よく知っている司牧の様子と、よく似ていると思ったんです。 聖スカラブリーニと聖カブリーニは列聖されていますし、そうであれば多くの人々は彼らを通してイエス様の臨在、聖霊の働きを感じ取っていたという事だと思います。そうであれば、私たちがイエス様と心合わせて移住者を始め他者に司牧あるいは配慮を行っているのなら、イエス様の現存を指し示すことができる。「あなたがたが私の内(うち)におり、私もあなたがたの内にいる」(14:20)ことを指し示すことができると思います。

 

 

2026年06月15日