20260524 homily
鶴山師
カトリック中央協議会のHPを見ておりますと、5月2日、ラテラノ教会で司教叙階式が行われたようで、その時のレオ14世の説教の翻訳がHPに掲載されています。一部だけ紹介したいと思います。
愛する姉妹兄弟の皆様。だからわたしたちは今日に至るまで、人々に捨てられ、神に選ばれた石となるのです。弱者を踏みにじり、すべての人の尊厳を尊重せず、強者を選ぶために紛争を用い、取り残され失敗した人々を顧みず、屈服した人々を歴史の屑とみなす計画に、わたしたちは生活とことばによって反対するからです。イエスは武器をもたず、武器を取り除く預言者としてわたしたちのただ中を歩み、拒絶されてもその生き方を変えませんでした。 今紹介した箇所は叙階を受けた司教のみならず参列者すべてに向けられたものです。ということは、今を生きる私たちすべてのキリスト者に向けられたメッセージであるはずです。 しかしながら、これはなかなか大変な使命です。周りの無理解や拒絶があったとしてもイエス様とイエス様に連なる人々は、苦しい状況に向き合って来ましたが、この使命を自分の努力だけとか精神論だけで行うことはできなかったはずです。イエス様は御父との深いつながりがあったから、またイエス様に連なる人々はイエス様との交わりがあって、この難しい使命と向き合うことが初めて可能になっていったはずです。そうでなければ、困難な使命をどうして行い続けることができたでしょうか。
今日の福音を黙想して心に留まった個所は、21節、「父が私をお遣わしになったように、私もあなた方を遣わす」です。 ところで私、本を買ってそのまま積読になっているものもあるんですが、数週間前、そのような本の中から『原サクラメントである教会』という本を手に取ってパラパラとページをめくっておりましたら、こんなタイトルが目に留まりました。「ロコスの派遣から信徒の派遣へ」。そしてこの単元の中にこんな文章がありました。会衆は家庭や社会の分野で、自分たちの職業の分野で、政治、経済、文化の分野で、この世に出会うべきである。会衆という言葉は信徒に置き換えられます。この本の原著はイエズス会のオットー・ゼンメルロート神父によって執筆されました、彼は第二バチカン公会議の教会憲章を作成する際、大きな貢献をされています。公会議から60年経ち、信徒の役割という事も教会内において、多くの人に認識されていると思います。確認のために教会憲章の31項を紹介します。信徒の固有の召命は現世的な事柄に従事し、それらを神に従って秩序付けながら神の国を探し求めることです。
私は先ほど申し上げた福音の個所を黙想する中で、私たち一人一人が今いる場所に遣わされているという事を思い浮かべました。教会共同体だけでなく、仕事を通して、家庭生活や日常生活という場に派遣されているということです。 ところでこの派遣の前提になるのは、イエス様が御父と一体であったように、私たちもまた、御父やイエス様との交わりに入ることです。この交わりがあるのであれば、「これって福音的なじゃないよな」と疑問を持ち続けることができますし、疑問を持ちづけることが状況を少しずつ神の国に近づけたいというモチベーションになるはずだ、そのように感じています。